教えのやさしい解説

大白法 500号
 
三時の弘教(さんじのぐきょう)
「三時の弘教」とは、正法(しょうぼう)・像法(ぞうぼう)・末法(まっぽう)の三時に、教法が弘(ひろ)まる次第のことです。
 第二祖日興(にっこう)上人は、これを『三時弘教次第(のしだい)』に、
「一、仏法流布(るふ)の次第
 一、正法千年 流布 小乗 権(ごん)大乗
 一、像法千年 流布 法華迹門(しゃくもん)
 一、末法万年 流布 法華本門」(歴代法主全書第一巻 四二ページ)
と御教示(ごきょうじ)されています。
 日興上人は、幕府や天皇に対する諌暁(かんぎょう)の際、この『三時弘教次第』を申状(もうしじょう)とともに呈上(ていじょう)されており、こうした日興上人の行跡(ぎょうせき)に倣(なら)って、以後、御歴代(ごれきだい)上人の申状には、必ず『三時弘教次第』が添(そ)えられています。
 正像未(しょうぞうまつ)における弘教の次第をいえば、まず釈尊の滅後一千年間(かん)の正法時代には、迦葉(かしょう)・阿難(あなん)・竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等の人師(にんし)論師(ろんし)が小乗教や権大乗教を弘め、次の一千年間の像法時代には、天台・伝教(でんぎょう)等が法華経迹門(しゃくもん)の教えである理(り)の一念三千の法門を弘めました。
 そして、仏滅後(ぶつめつご)二千年が経過(けいか)し、釈尊の仏法が効力(こうりょく)をなくした末法時代においては、御本仏(ごほんぶつ)日蓮大聖人が本門寿量文底(もんてい)の大法(だいほう)である事(じ)の一念三千の南無妙法蓮華経の仏法を弘められたのです。
 この三時における弘教について、日蓮大聖人は『教機時国抄』に、
「仏教を弘めん人は必ず時を知るべし(乃至)時を知らずして法を弘むれば益(やく)無き上還(かえ)って悪道(あくどう)に堕(だ)するなり」
(御書 二七〇ページ)
と、仏法を弘めるに当たっては必ず「時」を知るべきであり、この「時」と弘まるべき「法」すなわち三時における弘教の次第を知らずに、それぞれの時代に誤(あやま)った法を弘めれば、成仏の利益(りやく)を得(え)るどころかかえって悪道に堕(お)ちると御教示されています。
 故に、像法の師である天台大師は、南無妙法蓮華経の本仏本法(ほんぶつほんぽう)を内(うち)に知りながらも、時未(ときいま)だ至(いた)らず、また付嘱(ふぞく)がない故(ゆえ)にその弘通を末法に譲(ゆず)られ、『法華文句(もんぐ)』に、
「後(のち)の五百歳、遠く妙道に沾(うるお)う」
と説くに留(とど)められています。また、日本の伝教大師も『守護国界章(こくかいしょう)』に、
「正像稍(やや)過ぎ已(おわ)って末法は太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機(き)今正(まさ)しく是(こ)れ其(そ)の時なり」
と説いて、末法を切望(せつぼう)されています。
 日蓮大聖人が『上野殿御返事』に、
「正法・像法には此(こ)の法門をひろめず、余経(よきょう)を失(うしな)はじがためなり。今、末法に入(い)りぬれば余経も法華経もせんなし。但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」(御書 一二一九ページ)
と、末法の一切衆生救済の法は、ただ妙法五字に限ると御教示されているように、我々本宗(ほんしゅう)僧俗は、三時における弘教の次第を知り、末法適時(ちゃくじ)の唯一(ゆいいつ)の正法である南無妙法蓮華経を身命(しんみょう)を賭(と)して流布していくことが肝要(かんよう)なのです。